当時のbaseメンバーとして印象に残っているのは、中川家、キングコング、フットボールアワー、チュートリアルといった、後に『M-1』を賑やかすコンビたちだったという。
「ただ、baseでは劇場から『漫才をするな』と言われてたんです。『コントをやれ』と。というのは、当時は何をやってもウケるんですよ。10代、20代前半のお客さんがバーッと来て、ネタも全部覚えてるくらいの、その前でやってるのでね。それで、ダウンタウン風というか、マネというか、ダラーっと立ち話的にやってるのが多くて、支配人が、『それはアカン、それやったら漫才をするな』みたいなことを言うたんです。真意は『漫才がダメや』というのではなかったらしいんですけど」
若手に萌芽は見えるものの、やはり漫才は低迷している。そう感じた谷は、吉本に所属する全漫才師と面談を行うことにした。
「プロジェクトには途中からもうひとり加わったんですけど、彼とふたりで若手だけじゃなくて、中堅からベテランの人まで全漫才師と面談をしたら、みんな漫才をやりたいと言うんです。ベテランの人は、漫才ブームが過ぎて20年くらいたってて、劇場の出番も少なくなってきてたんですけど、漫才が好きで漫才師になったのだから、漫才をやる場を与えてくれたらいくらでもやると。若手もですね、漫才はそんなに真剣にやってないんだろうな、テレビタレントになりたいんだろうなと思ってたんですが、面談をしてみると、そうじゃなくって僕ら漫才が好きなんです、漫才をやりたいんですと言われてですね。これは、可能性があると思いましたよね」
そうして、未曽有の漫才プロジェクトは始動した。