実際、これまでの北野映画を支えてきたのは、「オフィス北野」の社長を務めていた森昌行氏だった。

「たけしは、86年に起こした『フライデー』襲撃事件で当時所属していた太田プロダクションとの関係が悪化したため、88年に独立。『オフィス北野』(現・TAP)を設立しましたが、その時、当時制作会社の番組プロデューサーだった森氏を自らスカウトして制作部長に就任させました」(映画ライター)

 92年、社長に就任した森氏は、たけしが映画を撮るようになると、映画プロデューサーとしての力を如何なく発揮した。

「『その男、凶暴につき』でたけしが初めて映画監督を務めると、事務所は映画製作に進出して北野映画を支えてきました。たけしが“世界のキタノ“と呼ばれるようになったのは、森氏の力が大きいことは間違いありません」(前同)

 その2人の関係がギクシャクするようになったのは、17年に公開された『アウトレイジ 最終章』の頃からだった。「それまで金銭に無頓着だったたけしが、急に“俺は森に搾取されている“と疑い出したことから、翌年3月の独立騒動に発展したんです。たけしの意を受けたたけし軍団が森氏の経営責任を追及しましたが、森氏に反論されて返り討ち状態になり、騒動は収束しました」(前同)