当の四千頭身も人気先行で登場したトリオに見えたが、実はブレーク前から『オールナイトニッポン0』(ニッポン放送)、『四千ミルク』(FM FUJI)と2本のラジオレギュラーを抱えており、若くして開花した才能のみならずメディアでの立ち居振る舞いもある程度心得ていたことが有意に働いたのだろう。いわずもがな、四千頭身もYouTubeで若年層の固定ファンを得ている。

 こうして見ると、第七世代の出現と一発屋芸人の消滅には、あまり相関関係がないように思えてきた。むしろ、一発屋的なプロセスでブレークを果たした芸人が「消えにくい」という時代になってきたのかもしれない。

 とはいえ、それにしても、である。例えば18年の『M-1』ファイナルステージは、霜降り明星4票、和牛3票だった。あのとき、もう1人誰かが和牛に票を投じていたら。霜降りが優勝していなかったら。せいやが「第七世代で~」などと発言することもなかったし、「お笑い第七世代」ブームは起こっていないのである。その現在とはまったく違う風景に思いを馳せながら、このとりとめのない文章をしめくくっておく。

(文=新越谷ノリヲ)