一方、タイムマシーン3号は主戦場としていた『オンバト』が10年に終了。『M-1』もその後決勝に進めないまま、同年、いったん終止符が打たれる。翌11年に始まった『THE MANZAI』(フジテレビ系)の第1回大会では2回戦で敗退し、13年には所属事務所のお笑い部門撤退により、移籍を余儀なくされた。デブネタの封印、ボケ・ツッコミの交替など、漫才スタイルも迷走を重ねる。オードリーが『笑っていいとも!』(フジテレビ系)から『ヒルナンデス!』(日本テレビ系)へと、テレビのド真ん中をレギュラーとして渡り歩いていたころの話だ。現場で、2組が顔を合わせるはずもない。
オードリーはあの『M-1』の翌日から今日まで、ずっと売れ続けている。
タイムマシーン3号はその後、太田プロダクションに移籍。15年に再開した『M-1』にラストイヤー組としてエントリーし、本来のスタイルに戻して、見事、決勝の舞台に舞い戻って見せた。そして、『あちこちオードリー』のプロデューサー・佐久間宣行氏がたびたび口にしている「タイミングはあれど、実力のある芸人は必ず売れる」という言葉を体現するようにテレビでの露出を増やし、YouTubeの登録者数も79.8万人を数えるなど、広い世代に愛されるコンビとなった。
デビューから23年、運命を分けた大井競馬場の敗者復活戦から14年。同じスタジオに座って対等に笑いあう2組のお笑いコンビの、長い歴史を垣間見た1分間だった。
(文=新越谷ノリヲ)