タイムマシーン3号が『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)で初の決勝に進出したのが05年。すでに『オンバト』で有名になっていた彼らの決勝進出に、驚きの声はほとんどなかった。そのころ、オードリーはようやく現在のコンビ名に改名。春日の自宅アパートに数人のファンを集め、座布団を敷いてトークライブを開催するなど、まだもがき続けている。

「それがどっかでおかしなことになって、革命みたいのが起こって」(関)

 関の言う「革命」が起こったのが、3年後の08年末の『M-1』だった。オードリーは敗者復活を勝ち抜き、勢いに乗って生放送の本戦でも1位通過。3組での決勝こそNON STYLEに敗れて準優勝となったものの、一躍、時の人となっていく。

 このとき、大井競馬場での敗者復活から勝ち上がってテレビ朝日へ急ぐオードリーを見送った58組の漫才師の中に、タイムマシーン3号の2人の顔もあった。

「なんか、会わなかったよね、同期とはいえ」(若林)

『M-1』直後から、日本中にオードリーブームが巻き起こる。スケジュールは多忙を極め、2人は瞬く間にテレビスターへと昇り詰めた。08年末の『M-1』から1年を挟んだ10年には、テレビ出演本数で1位を獲得。実に507本もの番組に出演している。