お次は永田町のモンスターか疫病神か、現役を離れても影響力を持っているといわれる森喜朗のお話。文春によれば、7月6日夜、パレスホテル東京に政治家たちが足早に入っていったという。向かった先は、高級なことで知られる鉄板焼の店。この日行われたのは、8日後に86歳を迎える元首相・森喜朗の誕生日を祝う会だった。
メンバーは、国会対策委員長・高木毅(67)、政調会長・萩生田光一(60)、参院幹事長・世耕弘成(60)、官房長官・松野博一(60)、経産相・西村康稔(60)。安倍派の5人衆が勢ぞろいしていたそうである。昔の名前で出ている森など、もはや用済みと、私などは思うのだが、そうではないようだ。
森も5人衆も、狙いは当初から下村博文元文科相(69)排除だった。昨年8月1日発売の月刊誌『正論』で森はこう語っていた。
〈みんなの一致していることは、下村博文だけは排除しようということ〉
森が下村を嫌うようになった原因は、新国立競技場問題だという。森は完成を自身が招致に関わったラグビーWカップに間に合うことを望んでいた。だが、設計段階で建設費が膨張し、世論の批判が増大。当時文科相だった下村が建設案の見直しを進め、森の希望は叶わなかった。以来、事あるごとに、下村を悪し様にいうようになったそうである。
清和会の幹部がこう明かす。
「森さんは度々五人衆を呼び出し、自らの考えを伝えてきた。影響力を保ちたい森さんにとって、特定の人物が派閥を仕切らないほうが都合がいい。下村さんを排除する一方、五人の力を均等にしたいのでしょう」
1人裏切られた形の下村は今、何を思うのか、本人に聞いた。
――新体制をどう見る?
「会長を決め、派閥の体を成すようにしなければ、ますます清和研は軽く見られるし、結束力は強まらない。私は立場は関係なく、清和研の中で安倍さんの残した種を花開かせていきたい」
――会長への意欲は?
「はい。そういう覚悟をもってやるつもりです」
――下村外しは?
「森さんの意向ではないかと思います。清和研の中のことは、清和研の中で決めることが必要だと思う」
――(森さんに=筆者注)土下座したと?
「森さんの仰っていることは事実ではありません。『お願いします』と頭を下げたが、土下座はしていない」
安倍の亡き後、迷走を続ける清和研の面々と、ドン面をして引き回す森にいいようにされる軟弱な派閥の行方はどうなるのか。「あと5年は俺が清話会の面倒を見る」と森は口にしているという。これも、安倍が後継者をつくらなかったからである。迷走を続ける大派閥はどこへ行き着くのだろう。