宮崎駿のこれからの世界の予言

 そうであっても、宮崎駿による「長編企画覚書 劇場長編を造るか?」は興味深い。例えば、自身の80歳に近づこうとしている年齢を気にしつつ「問題はこれからの3年間に世界がどうなっているのか」と記し、「今の、ボンヤリと漂っているような形のはっきりしない時代はおわっているのではないか」「もっと世界全体がゆらいでいるのか」「戦争か大災害か、あるいは両方という可能性もある」と予想をしているのである。これが、2016年7月1日のことだ。

 実際の『君たちはどう生きるか』は3年どころか7年の歳月をかけてやっと完成した(ここに載っている手書きのスケジュールも味わい深い)のだが、その間には言うまでもなく新型コロナウイルスのパンデミックがあり、ロシアによるウクライナ侵攻も起きて世界は激変した。「世界全体がゆらぐ」「戦争と大災害の両方」というのも当たらずといえども遠からず、まるで予言のようにも思えてくるほどだ。

時代に迎合した映画は作らない

 そして、宮崎駿はこの時代に3年がかりの映画を作るとしたら、どんな形の映画が望ましいかとも考えた。「うんと平和な映画」として例えば「トトロIIは可能か?」と『となりのトトロ』の続編の可能性に言及しているのも興味深いが、「時代に迎合した映画は作ってはならない」と結論づけているのも迫力を感じさせる。

 時代や世相を鑑みながらも、そこに引っ張られることなく、作るべき映画を作る。その宮崎駿の気概が表れたのが、平和とは真逆の「戦時中を舞台にした映画。時代を先取りして、作りながら時代に追いつかれるのを覚悟してつくる映画」と記された通りの『君たちはどう生きるか』なのだろう。具体的にどういう点が「時代を先取り」にしたのかは判然としないが、それは前述した通りの、映画を作っているうちに変わっていく世界を見据えてのことなのかもしれない。

 さらに、宮崎駿は「人非人になれるなら、日清戦争の黄海海戦を映像化したいが、これは個人の趣味だ。ダメ」とも言及している。思えば、『風立ちぬ』ももともとは宮崎駿自身が「個人的な趣味」と自覚して描いていた漫画だったのだが、鈴木敏夫プロデューサーがアニメ映画化を提案してきたため「鈴木さんはどうかしている」と返したことがある。その宮崎駿本人が、やはりというべきか、個人の趣味を映像化する者は人でなしとさえ思っているというのも面白い。