――そこからJAYさんの代名詞とも言える、故ジェームス・ブラウンに敬意を表したパロディマンガ「ファンキー社長」が誕生したきっかけというのは?
JAY ヒップホップのサンプリングという技術に興味を持ち、そこから元ネタ経由でファンク/ソウルにハマったのがきっかけです。プラス、Kダブシャインさんの「も一度James Brownから聴け」(キングギドラ「公開処刑」のリリック)からも影響を受けました。それまでのクラブでフライヤーを紛れ込ませるスタイルをやめてツイッターにアップしたところ、ジェームス・ブラウン・マニアの方々やPanzoさんから「面白い」と言っていただけたことで、描き続けることができました。ジェームス・ブラウンのエピソードだけで80本ほど4コマを描いたと思います。
Tina ジェームス・ブラウンの生まれ故郷でご親族と会われたんじゃなかったでしたっけ?
JAY 正確には渡米したときに親族には会ってないんですが、オリジナル・ジェームス・ブラウン・バンドがビルボードライブで来日公演をしたときに、ジェームス・ブラウンの育った街・ジョージア州オーガスタに住んでいるバンドメンバーを紹介してもらう機会に恵まれたんですね。そのメンバーの人から「JBツアーに連れていってやるぜ!」と言われ、聖地巡礼もかねてオーガスタに行ったんです。でも、会う約束をしていた日に「あ、俺いまフロリダにいるから2日後に会おうぜ」と言われ、ひとりでJBツアーをしました。
Tina そういうところに惹かれちゃう!(笑) JAYさんのILLさ加減と言いますか、DOPEな生き様がマンガの端々から感じるし、その独特の世界観を「Deja’ve」をリリースしたタイミングでマンガにしていただけたらと思っていたのですが……厚かましいお願いだし、正直言い出しづらくって。
JAY そのタイミングで一席設けていただく機会があって、そこでTinaさんのヒストリーやいろんなエピソードを聞かせてもらい、「あ、これは僕が普段描いているマンガの内容とも相性がいい」と思えたんです。でも、4コマのオチをちゃんと作れるかどうかは不安だったんですが……(笑)。