その後、つわりがひどくなったナツコは部屋にこもるようになるが、ある日屋敷の近くの森の中へ入っていくのを眞人は見かける。それを追っていくと、屋敷をつくったという大叔父様が建てた奇妙な建物にたどり着き、眞人とお屋敷のお手伝いのキリコばあさんの二人はアオサギを追って不思議な世界に迷い込んでしまう。

 その世界では奇妙な生き物たちが蠢き、若き日のキリコばあさんや、火を扱う少女ヒミ(亡き母の若い頃)らと出会い、セキセイインコの軍団(?)に襲われたりしながらも、この不思議な世界には疑問を抱かず、冒険を続けていく。

 まるで『不思議の国のアリス』のように夢と現実がごっちゃになって、観客は混乱する。なにしろ「なぜそうなるのか?」がまったく説明されないし、普通は観客の代弁者である主人公の眞人が「これはどういうことなんだ?」「お前は一体何者なんだ?」みたいな疑問をぶつけてくれれば、誰かが観客に向けて説明してくれるだろう。ところが眞人は自分の身に起こる不思議な出来事や体験を疑問に思うことなく、流されるように受け入れてしまう。

 こう聞くと「わけのわからない物語を見せられても、退屈なだけじゃないの?」と思うだろうけど、この映画は久石譲の音楽に合わせて凄まじいビジュアルが展開し、観客に一切退屈だという感情を与えることなく、スムーズにクライマックスに向けて押し流してゆく。疑問を感じても「なんだか凄いことが起きているんだ」ということだけはわかるようになっている。こんな作品は宮﨑駿監督にしかつくれないだろう。