マンハッタン計画の核施設が国立公園に

このように50~60年代にかけての米国(と日本)の、核/原子力のイメージは楽観的であったが、こうした核の脅威を軽視したような見方に対して、批判的な動きはなかったのだろうか?

「50年代のB級SF映画では、核実験に対し批判的な意味合いが込められているものが多かったですね。というのも、一線級の俳優が出演する『Aリスト映画』は規制(ヘイズコード)がとても厳しいのに対し、子ども向けと目されていた『Bリスト映画(いわゆるB級作品)』は、俳優も無名だし、規制もないに等しかったからです。個人的には初代『ゴジラ』と同じ、1954年に発表された『THEM!』という映画が印象に残っています。この映画にもゴジラと同じく、ブラボー実験に対する批判的なメッセージが込められていたのです」(ジェイコブズ氏)

その後、時代が移り変わると共に放射能の危険性に対する理解が深まり、度重なる核実験施設や原発での事故などを経て、米国における「核/原子力」への能天気な認識は薄れていった。ネバダ核実験場も地下化したことで、キノコ雲は現れなくなり、実験は世間から忘れ去られていく。

冒頭で紹介したハンフォード・サイトも稼働はとうの昔に終えており、リッチランド住民のほとんどはその除染作業に従事している。しかしながら、彼らは「戦争を終わらせた爆弾」に関わる仕事を誇りとしている。