吉田拓郎はボブ・マーリーの「I Shot The Sheriff」をライブで体験した感想として、「あの叫び、あのノリも、黒人のソウルだ。レゲエってリズムの形じゃない。ソウルだと思うね」という言葉を残している。ボブ・マーリーが来日した1979年は日本でもレゲエを取り入れたアレンジが流行しつつあったが、吉田はそうした日本化されたレゲエとは一線を画す魅力を感じ、のめり込んでいったと言われている(「平凡パンチ」昭和55年4月28日号より/平凡出版)
このレゲエへの思いが最初に作品に現れたのが、彼にとって初の海外レコーディング(ロサンゼルス)となった『Shangri-La』(‘80)である。
同作は、前述の米軍基地での演奏でもカバーしていたという憧れの人物、ブッカー・T・ジョーンズをプロデューサー兼アレンジャーに起用し、スタジオ・ミュージシャンには元ザ・バンドのガース・ハドソン等が参加。アルバムタイトルも、解散前のザ・バンドが愛用していたことでも有名なロサンゼルス郊外マリブのスタジオ「Shangri-La Studios」から取られている。結果として、ロサンゼルスという土地柄から連想される当時の爽やかなウェストコースト・サウンドとは一線を画す、アーシーでいぶし銀のサウンドが楽しめる名作となった。
中でもレゲエの影響が分かりやすく表出した楽曲としては、シングルカットもされたアップテンポの「いつか夜の雨が」、より重厚なグルーヴを持った「ハネムーンへ」が挙げられる。
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