かつての日本映画は家族の崩壊というテーマで映画を作られても、父親なり母親なりの愛情とやらで強引に家族は団結し、「やっぱり家族っていいものだね」といった安易なオチで締めくくられてきたことが多い。

 是枝作品は崩壊した家族が再生しないまま終わったり、問題は事態は解決せずにエンドロールを迎えたりする。安易に善悪の決着がなされるのはリアルじゃないということだろう。観客は映画が終わった後も考え続けることになる。

『怪物』についても子供たちを追い込む大人たち、普通の人々こそが「怪物」なのだ! といった「いかにも」な意見を数多く見たが、そういう安易な解釈、結末こそ是枝裕和が遠ざけたいものではないか。

『藪の中』が発表されてから100年経った今でも真相を巡って論争が起きているように。是枝裕和作品はエンドロールの後も映画は続くのだ。