「その犯罪・事件を報じることで“負の共有財”にしていく。だからこそ報じるのであり、犯罪者に法的な責任以上に社会的な制裁を加えるために報じるのではない」

 前科者が犯した殺人事件を担当することになった弁護士・重盛(またしても福山雅治)は依頼人・三隈(役所広司)の二転三転する供述に悩まされる。やがて重盛は被害者が自分の娘を性的虐待しており、救うために殺人を実行したのでは、という結論にたどり着くが、裁判になると三隈は証言を翻し、自分は殺してないと言い始める。

 誰も信じてくれない自分をあなたは信じてくれるのかと、迫られた重盛は困惑する……という法廷サスペンス『三度目の殺人』(2017)では、容疑者である三隈、被害者の娘・咲江(広瀬すず)、重盛、三者三様の家族の在り方が問われる。

 三者の家族はまともに機能しておらず、悲惨な人生を歩み、追い詰められ前科者になったため、離れて暮らす娘にも恨まれている三隈は「生まれてきたのが間違いだった。自分は生きているだけで周囲を不幸にする」と吐き捨てる。

 咲江が父親に虐待されていることを、母親(斉藤由貴)は知っているのに見て見ぬふりをする。勤め先の工場の食品偽装をごまかすように、見たくないものにふたをする。それで誰かが苦しもうと知ったことではないと言わんばかりに。

 三隈を弁護する重盛も仕事にかまけて妻とは離婚同然の状態。娘は愛情に飢えてわざと万引きをするといった不良行為を繰り返す。見たくないものにふたをしているのは自分も同じだ。三隈は見て見ぬふりをせず、罪を犯してまで咲江を救おうとしたのではないかと推測する。だが、真相はやはり「藪の中」に囚われる。

 是枝裕和は旧来の日本人的な家族の枠組みを破壊し、家族の在り方を問い直す作品を撮り続けてきた。