『藪の中』は藪の中で見つかった男の死体を巡って目撃者と当事者の証言が食い違い、真相の解明に至らない。真相が明確にされないことを称して「藪の中」という言葉を生み出した。映画『怪物』も異なる人物の視点から事態の真相に迫ろうとする。が、真相は明かされない。

『怪物』への意見でよく聞かれるのが、「結局のところ、真相は?」といったものだ。作中で起こる様々な事件や疑問にはヒントは与えられても、はっきりとした解答は示されない(『藪の中』を映画化した『羅生門』では一応「真相」らしきものはつけられてはいる)。

『藪の中』ではそれぞれの人物による「心理的事実」が語られるだけであるように、『怪物』の登場人物らも同じ事柄に対してそれぞれが「心理的事実」しか見えないために事の真相にはたどり着けない。早織がシングルマザーであることは事実だが、だからちゃんと子育てできていないといった意見が劇中で語られるが、穿った見方でしかない。

 このような偏見による「心理的事実」だけが延々と積み重なるだけ。『怪物』というタイトルすらも、観客をあらぬ方向へリードしていっている。

「怪物、だーれだ?」というセリフは、登場人物の誰かが常識では測りきれない『怪物』なのでは? と示唆しているように見える。