──すでに今の芸風に近かったんですね。事務所には所属してましたか。

街裏:いや、アマチュアでしたね。ライブも多くて月5本、そんなに活動してるってわけじゃなかったです。結局、平田とのコンビは3年で解散しました。結局、平田は音楽のほうが楽しくなってきたんでしょうね。お笑いへの熱量に差が出てきたんで、「俺ピンでやるから解散しよう」って言いました。

──そこから漫談をやるんですか。

街裏:ピン芸人になってから1年くらいはフリップネタでした。ポスターの写真を見せて、それにツッコむみたいな。フリップ思いっきり投げて、キレまくるみたいな芸風で。でも、ピンになった途端ウケ始めたんですよ。漫才やってたときは3年間スベったことしかなくて自信失いかけてたんですけど、1人になって「俺のお笑いは間違ってなかったんや 」って思えた。とはいえ絵が下手くそなんでフリップは限界あるなと思って漫談に変えましたけど。

──漫談は最初から“ウソ漫談”だったんですか。

街裏:途中からウソ漫談もちょっとやり出しましたけど、最初はぼやき漫談でした。フリップのときと同じで、いろんなことにぼやくというかキレる。大阪って日常的に「なんじゃおらー!」とか言ってるおじさんがおるんですよ。そういう感じで理不尽にキレるのがウケましたね。でも、2012年に上京してきたら全然ウケへんかったんです。こわもてがキレるって、東京では笑われへんねやって気づいて。もともと太めやったんですけど、ウケないストレスでさらに太ったのがこの頃ですね。