番組が徐々に不穏さを濃くしていき、ある回を境に放送されなくなる。そのような構成は、一方的かつ定期的に映像が届けられるテレビという設定だからこその仕掛けだったのかもしれない。放送休止が演出に含まれた番組を、私はほかに知らない。

 が、以上のように考えていくと徐々に気づくのである。すべては演出である、すべては製作者の手の内にある、そのような考え方の構造が“陰謀論”と同型になることに。もちろんまったく同列に並べることはできないが、思考の型としては似ているはずだ。自分は番組の仕掛けに気づいてるけど人によったら勘違いしてしまうかもしれない、というような自分を安全圏においた先回りの心配も“陰謀論”にはまってる人っぽくはないか。

 あるいは、「検証」と題された動画のなかに「そういう意味深なのが(番組内に)あると考察好きがSNS上で騒ぐんですよ」と語られるシーンがあるが、『SIX HACK』の映像の点と点をつないで番組のメッセージを“考察”していく、そのような身振りも”陰謀論”を構築する手際に接近していくところがあるように思う。――というように、映像のなかからヒントを読み取り読解してみせる手際もまた。

 もう、何を言っても番組の構造のなかに絡め取られてしまう。おそらく製作側も少なからず絡め取られているのではないか。そういう意味で怖さのある番組だが、そんな怖さにあらかじめ触れておくことが“陰謀論”的なものへの接近に気づき回避するための抗体をつくりだすのかもしれない。ワクチンのように。