ドラマの公式サイトでは、田辺誠一さん演じる穴山梅雪(本名・穴山信君、のぶただ)は〈武田氏の一門・穴山家の当主。信玄からの信頼厚く、抜群の知略を生かし、外交戦略のエキスパートとして活躍。武田軍の駿河侵攻においては、先兵として今川家の切り崩しを行い、のちに徳川家や織田家と対峙することになる〉と紹介されていますが、実は〈徳川家や織田家と対峙することになる〉という部分には重要な「続き」があります。それは、梅雪が武田勝頼を裏切り、信長と密通し、後には家康の家臣にもなったという事実です。
梅雪の母親は、武田信玄の父・信虎の娘(詳細不明)ですから、信玄と梅雪は従兄弟同士です。さらに梅雪は武田本家との血縁を強めるため、信玄の娘(詳細不明)とも結婚しています。このように武田本家への帰属意識が非常に高かった梅雪ですが、『甲陽軍鑑』によると、天正9年(1581年)ごろに勝頼を見限ることになってしまいます。同書には、天正3年(1575年)の長篠・設楽原の戦いにおいてすでに梅雪が勝頼の命令を無視し、まともに戦おうとはしなかったというエピソードが登場しています。さすがにそれは創作だとしても、両者の不和・反目はすでにそのころから見られていたと考えることもできるでしょう。
ドラマの梅雪は、設楽原の戦いで二度にもわたって勝頼(眞栄田郷敦さん)に退却を進言したにもかかわらず無視されてしまい、若き当主・勝頼を見守るしかありませんでした。梅雪から勝頼への最初の忠告は、酒井忠次(大森南朋さん)らの兵によって鳶ヶ巣山の砦が狙われていると判明した時点でした。梅雪は「織田軍の鉄砲の数は1000を超える」と具体的な理由を挙げながら、「(兵を)引くよりほかないかと。後ろを断たれる前に」と勝頼に進言しています。しかし、勝頼は彼の言葉を聞き入れなかったようです。さらに鳶ヶ巣山が落ちたという報告の際にも、梅雪は「引き揚げのお下知を! 急がねば逃げ道を塞がれます」と退却を進言しましたが、「父・信玄を超えたい」という一念に囚われた勝頼は、あろうことか「目の前に信長と家康が首を並べておる。このような舞台はもう二度とないぞ!」「戦場に死して名を残したい者には今日よりふさわしき日はない!」などと兵を鼓舞、信長の鉄砲隊との正面対決に挑んだのでした。しかしその結果は惨憺たるもので、織田軍鉄砲隊の総攻撃によって武田の騎馬隊は撃滅されてしまったのです。
ここで少々脱線しますが、ドラマでは、騎馬隊をはじめとした武田軍が接近してきた際、織田の鉄砲隊は、軍用火縄銃の用意ができた者から次々に柵の隙間から敵を狙って撃っており、興味深い演出でした。いわゆる「三段撃ち」という言葉から、われわれがイメージするのは、部隊を3つに分けた上で、隊ごとに射撃しては下がって次の砲撃の準備をし、順番を待つという運用です。しかし、ドラマではこの運用方法は、武田の騎馬隊を十分な距離までに引きつけて最初の一撃を放った時だけ行われたようで、以降は「準備のできた者から次々放て」との指示が下っていました。