『ジャックフルーツが行方不明』
目に見えない、さまざまな支配構造をコメディとして描き切る

 Netflixが制作するインドのオリジナル映画は、社会問題を扱うことが多い。そういった姿勢を海外市場に発信したいという表れでもあるだろう。

 アーリヤー・バット、タープシー・パンヌ、そして今作の主演であるサニヤー・マルホートラは、Netflix映画で“強く生きる女性”を体現する俳優としてたびたび起用されている。サニヤーは『おかしな子』(2021)、『わたしたちの愛の距離』(同)といった作品でも主演を務めたが、どちらも現代的価値観を持ち、自立した女性を演じている。

 一方で、『ジャックフルーツが行方不明』のジャンルはコメディ。サニヤーの持ち味が活かされないかもしれない、という不安もよぎった。というのも、インド映画にも苦手というか、不得手というか……(むしろ)時代のほうが追いついていないジャンルがいくつかあり、それがコメディとホラーだ。

 ホラーに関しては、なぜかコメディ要素がくっつく作品が多い。『霊幻道士』や『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』シリーズといったコメディ要素の強い香港ホラー映画の影響が強いようにも感じられるのだが、ホラーに不可欠ともいえる緊張感がないものが多く、本格ホラーを目指して制作されたはずのインドホラー『Amavas』(2019)も、冒頭からいきなりつまずいている。

 最近になってインドでもブラムハウス・プロダクションズやジェームズ・ワン監督のホラー作品が人気を博しており、いい具合に変化してきている。『エンドロールのつづき』と同じくグジャラート語で制作されたホラー映画『Vash』がインドの観客を震撼させており、すぐさまアジャイ・デーヴガン主演でヒンディー・リメイクが作られるなど、インドホラーも急激なスピードで進化しようとしている……けれども、最大の難敵はやはり、なぜかコメディ要素が入り込んでしまうことだ。

 もはや吉本新喜劇や昭和喜劇映画のような効果音が聞こえてきそうというか、実際に多用したホラー作品さえ多くある。ハリウッドリスペクトが強いはずのローヒト・シェッティ監督の作品でさえも、コメディ部分では昭和の香りを漂わせており、最新作『サーカス』(22)はその象徴ともいえる作品だ。