行為はどんどんエスカレートしていったという。

 1年後には忍者の前身になる「少年忍者」のメンバーになるなど、順調だった。

「グループのメンバーから、『お前はジャニーさんのオキニ(お気に入り)だもんな』と言われたこともあります。『合宿所に呼ばれて、ジャニーさんがお前のところに行ったんだろ』と。『何言ってんの!』ってめっちゃ怒りました。じゃぁ、お前もやられたのって話だけど、訊けないです。自分の中で汚れてる、すごいことに手を染めちゃっているという罪悪感みたいなものがあるから、誰にも言えない」

 忍者でデビューしたのは1990年。志賀はすでに22歳になっていた。同年末には紅白に出演し、この年の各音楽新人賞を総なめにした。

 しかし、「デビューの頃は摂食障害というか、ものが食べられなくなっちゃっていて、体重が四十二キロしかなかったんです」という。

 両親には亡くなるまで被害を打ち明けられなかったそうだ。

 1994年に事務所を退所。別の芸能事務所に所属しドラマやVシネマに出演するが、その後、芸能界を離れて会社員として生活しているという。

 今でも時折フラッシュバックが起きることもあるという。

 これまで告白した元ジャニーズJr.の中には、ジャニー喜多川への感謝の気持ちを持っている男性もいたが、志賀はジャニー喜多川との過去には恐怖しかない、感謝は全くないといい切る。

「性に対する教育もまだろくに受けてない状態の中で、それが犯罪だって、子供の僕が気づいてないところを利用していた。ジャニーさんは許せないです」

 ついに実際にアイドルだった志賀が語りだし、近藤真彦も口を開き始めた。ジャニーズ事務所のタレントをCMに使っている企業も注視し始めた。

 ついにジャニーズ事務所崩壊へのカウントダウンが始まったようである。