洋介の日常の介護を行うのは、70歳を超えた父・徹雄と母・仁子。徹雄が洋介にTシャツを着せ、酔いつぶれて帰ってきた彼を仁子がおぶって介護用ベッドに移動させる姿が映されていた。

 番組スタッフや行きつけのバー、居酒屋では饒舌な洋介だが、両親の前では無口。ただ、洋介は番組スタッフに対しては、両親に対する感謝や申し訳なさ、自分へのイラ立ちなど、複雑な思いを口にする。

 洋介はSNSでPLSについての情報や生きる意欲を発信しており、賛同者が集まっていく。18年、洋介は廃屋を借り受け、ボランティアの賛同者と共に合同会社PLS(以下、記事では病名と分けるため「PLS社」と表記)を設立。洋介はPLS社で親の手を借りず1人で暮らすことを目指している。

 一方で、PLS社の運営において、洋介の連絡、通達が十分でないところもあるようだ。洋介を支援している一人で、不動産開発会社を経営している黒谷は、PLS社に金額を融通し紹介した工事について、その後の報告が洋介からなかったことをたしなめていた。

 洋介に対し「(自分は)あんたに容赦せんけん」とフラットに接する黒谷。洋介はそんな黒谷を慕っており「大恩人なのに迷惑をかけまくっている」と話していたのだが、またしても迷惑をかけてしまう。

 PLS社での宴会に参加できなかった黒谷に対し、同社のスタッフが暴言を吐いたというのだ。この件に対する洋介のの謝罪も遅れ、黒谷からのメールには「御社、貴殿の常識は理解できません!」とまで書かれてしまう。洋介はカメラの前でしばらく涙に暮れるほど落ち込んでいたが、その後、黒谷とは和解。番組の最後で、洋介は鰻屋で両親のためにうな重を買っていた。