また、「おなごの戦い方」を力説するお万から「ずっと思っておりました。男どもに戦のない世など作れるはずがないと。政もおなごがやればよいのです。そうすれば、男どもにはできぬことがきっとできるはず。お方様のようなお方なら、きっと……」と言われた時に見えた複雑な表情からは、その言葉に感化されて瀬名もまた「おなごの戦い方」について意識し始め、政治に介入してしまうのではないか、と思われるところがありました。これが、多くの史書に見られる、瀬名=築山殿が武田方と内通をしていたという逸話につながっていくのかもしれません。

 『岡崎東泉記』という史書には、歩き巫女などの武田の諜報部隊が岡崎城内に出入りしており、彼らの言葉にすっかり洗脳されてしまった築山殿が、武田勝頼からの提案――彼女の愛息・信康を三河の国主の座に据えるための協力を勝頼がするという言葉に乗り気だった、との記述が見られます。

 ドラマの次回・第20回は「岡崎クーデター」と題され、予告映像では、勝頼(眞栄田郷敦さん)が「あの城(=岡崎城)はいずれ、必ず内側から崩れる」と予言する場面があったり、歩き巫女の千代(古川琴音さん)が暗躍しているらしき様子もありましたから、『岡崎東泉記』のエピソードがドラマでも採用されるのかもしれません。

 家康の居城・浜松城と、信康と築山殿の暮らす岡崎城には70キロほどの距離があり、その地理的距離は、心理的距離にもつながっていたと考えられます。天正2年(1574年)ごろ、侵攻してきた武田軍に対し、浜松城では対決姿勢一色だったのに対し、武田との連戦により疲弊が目立つ岡崎城では、武田方の熱心な諜報活動もあってか、「家康公は自分たちが命を投げ出してまで仕えるのに足りる主君なのか」と家康のリーダーとしての資質を問うような意見が重臣たちの間でも噴出するような状態だったともいわれます。それを象徴するのが、次回の中心となるであろう「大岡弥四郎事件」でしょう。