もっとも、信長が「金ケ崎城に木藤、明十、池筑その他残し置かれ」と命じた同時代の記録があり(波多野秀治が一色藤長に宛てた書状『武家雲箋』)、木下藤吉郎、明智光秀、池田勝正たち3人の手で金ヶ崎は守り抜かれたと考えられ、家康がここに加わっていた可能性は低いとみられます。危険な殿を務めたという逸話からこの3名のうち秀吉以外の2名の名前も消えているのは、この2人がのちに信長を裏切ったので後世の歴史家から無視されたからでしょうか。

 この退却戦において、秀吉たちが被った損害についてはよくわかりませんが、「人数二千余」の兵を失ったとする記録もあります(『多聞院日記』)。超有名な歴史事件だったにもかかわらず、重要な部分についてはわからないことだらけなのに驚くしかありませんが、それほど激戦だったということでしょう。逆に言えば、史実関係がほとんど判明していないので、後世の歴史家が「推し」の人物の株を上げるための逸話をねじ込みやすいということでもあります。家康が秀吉たちの殿の軍に加わったとする『徳川実紀』も、一次史料に彼の名前がないのをいいことに、「神君」家康の威光を上昇させるために、「実は家康も殿を務めた」ということにしてしまったのではないかとみられます。

 殿の奮戦のおかげで、信長は近江国・朽木を経由し、4月30日、命からがらの帰京に成功しました(『信長公記』)。そして自身を裏切った義弟・浅井長政を討伐するべく、同月9日、岐阜に一度戻って軍の立て直しを図ることになります。

 信長が義弟の裏切りに遭い敗走するという有名なエピソードのわりに判明している事実が意外なまでに少ない「金ヶ崎城攻め」ですが、ドラマではどのように描かれるのでしょうか。放送が楽しみです。