1960年生まれの庵野秀明は66年の『ウルトラマン』、71年の『仮面ライダー』をリアルタイムで経験した世代だ。60~70年代の子供たちにとって特撮ヒーロー番組はテレビをつければ必ずやっている人気のコンテンツだった。

 しかし80年代に入り、ガンダムブームがやってくるとアニメ人気に押され、特撮ヒーロー番組は次第に勢いを失い、ウルトラマンもライダーもテレビで新作が放送されない隙間の時代がやってくる。隙間の時代に生まれた世代の子はテレビでウルトラマンもライダーも見たことがないという「分断」が起きる。

 2012年に東京都現代美術館で開催された「館長 庵野秀明 特撮博物館」の制作発表で庵野は「大好きだったものが消えつつある。それは仕方ない。ただ、こういうものがあったということは残して置きたい」とコメントをしていた。

 庵野は「新作」を作ることで、オリジナルを越えるのではなく、社会にオリジナルの魅力を拡げ、世間にオリジナルの面白さを再認識してもらう意図があった。そのためには「オリジナル」であるテレビの『仮面ライダー』と石ノ森のマンガ版、二つの世界を繋ぎ、その上さらに石ノ森作品に通じる「同族殺し」の要素を取り入れる手法を選んだ。

 仮面ライダーはショッカーが生み出した改造人間で、彼を倒しにやってくる怪人たちもショッカーが生み出した。『仮面ライダー』はショッカーという組織内の内輪もめと受け取ることもできる。『人造人間キカイダー』も、兄弟同士で殺しあうアンドロイドたちの話だ。『シン・仮面ライダー』も同じ組織の中で生まれた者たちが「人類の幸福」とは何なのかを巡って争う。

 現在も続くライダーシリーズにはこうした「石ノ森イズム」はあまり見受けられない。それは「分断」の時代を経て、新しい世代に特撮ヒーローものというジャンルを残していくために、あえて変えなくてはならなかったのだろう。

 しかし石ノ森作品のテーマとキャラクターを登場させなければ「分断」以前のオリジナルの魅力は再認識できない。元ネタの羅列は庵野監督にとって必要な儀式なのだ。