誰かに「必要とされる」ことの幸せ

曽野綾子さん90歳が、人間関係に悩む人に贈ることば5選「初めから諦めればいい」
(画像=『女子SPA!』より引用)

 人はある能力によって、他人に思い出してもらえる時に幸福なのだ。ただ単に「大食い」だからでもいい。野外で食事の支度をしていたら、大鍋の汁を作り過ぎた。多分余りそうだから、「あいつを呼ぼう」でもいい。そこに一人で三杯汁どころか五杯汁だって平気という豪傑がニコニコ笑いながらやって来て、おつゆを何杯もお代わりして平らげてくれれば、食卓全体が明るくなる。  

誰でも「呼ばれている」という感覚は嬉しい。どんな小さなことでもいい。だから呼んで頼むこともいい。頼まれた人も、ひがまずにいそいそとそのグループに加わって自分のできることをするのだ。 (略)  

しかし今でも、誰かに呼ばれている、必要とされている、ということは、どんな些細なことでも、神が呼んでいる、神がその人をその時必要としている、ということでもある。そう思えば自分の現在を惨めに思うどころか、楽しくなる面も見いだせるはずだ。
(『死生論』)
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