──推しているなかで、倦怠期が訪れるときもあります。石山さんも電線との倦怠期があり、「はっきりしたブレイクポイントはわからず抜けていた」と書かれていましたが、いま振り返ってみてどのように乗り越えられたと思われますか?

石山:物理的な話なんですけど、私は電線をカメラで撮って愛でるタイプなので、逆に撮ることをやめてみたんです。いつからか撮ることが目的になってしまっていたので、ただ見るようにしてみたら、違った角度の魅力を見つけられるようになりました。あとは、盛り上がっていない時の自分の気持ちに素直になって、一度距離を取ってみる。“強火”こそ尊い関係性だと思いがちですが、いろんな温もりがあっていいですよね。前は、どこかに行ったら必ず電線を撮ってSNSにアップすることを自分に課していたんですけど、今はいったんSNSを目的にしないようにしています。楽しい範囲で、自分の気持ちに素直に、できることをやりたいですね。

──石山さんのように表に出られる方だと、推しの魅力を発信する機会もあり、自分だけで愛でるのではなく、他者の期待に応えることへの葛藤もあるのではないかと思います。本著でも「女優『なのに』電線が好き」という「キャラ付け」や「ギャップ売り」に対する葛藤を率直に綴られていましたが、他者への発信と自分の中で大切に愛でることの両立は、どのようにされているのですか?

石山:出始めは、前の事務所の方が電線好きをおもしろがってくれて、メディアへのパッケージングとして“コンサバ×電線”というインパクトで売り出そうとしていたんです。でも、それこそ、自分に嘘をつき続けることがしんどくなってしまって。“女性=若さ、明るさ、素直”みたいな世間的なイメージの“女子”を着飾ってみることも、最初は楽しかったんですが、だんだんと疑問を覚えるようになり、そこを売り物にしなくても自分のままで電線愛を語りたいと思うようになりました。いっときは、反動でボーイッシュな格好をしたりメイクを薄くしたりしたんですけど、今は「自分のままなら、なんでもいいか」と思っています。

──前作の『犬もどき読書日記』で、他者のまなざしをどこまで取り入れるか、という葛藤について語られていましたよね。

石山:犬はどんな犬種、年齢であっても、その存在だけで可愛い。自分の軸を“犬みたいに生きる”にすると、その日によってコンディションが違うのも受け入れられるし、他者を犬だと思って見るとどんな人にも可愛げがあることに気づくんです。社会的に正しい姿にあまり縛られず、そこからはみ出てしまった自分も守るようにすることが両立の軸にある気がします。自分の思いを大事に選択して、むかつくことがあったらニコニコしなくてもいい。自分のままでいたら自然と味方が増えてきて、こうやって新しい挑戦の機会もいただけたので、今のところは自分のままで頑張りたいです。