我々の世代には許永中(76)というのは懐かしい名前だ。バブルの象徴のような男であった。
その許永中に文春が韓国でインタビューしている。
1947年に大阪・中津で生まれた在日韓国人二世。建設会社社長として大阪の同和対策事業を請け負う中で「裏社会」と接点を持つようになり、政財界への太いパイプを築いていった。
許永中の名が知られることになるのは、3000億円が闇に消えた戦後最大の経済事件「イトマン事件」だった。
1991年、許は不正な海外取引でイトマンに損害を与えたとして大阪地検特捜部に逮捕される。その後、2005年に最高裁で実刑判決が確定し、栃木県の黒羽刑務所に収監されたが、2012年に母国・韓国での服役を希望したため、国際条約に基づき韓国へ移送された。翌2013年に仮釈放になっている。
いろいろなビジネスにも手を出しているようだが、
「やっぱりメインは北朝鮮やね。日韓北という三カ国を繋いで仲良くさせる。この十年はずっとそれに情熱を燃やしとるんです。私くらい傷があって無茶する人間じゃないと出来へんでしょ(笑)。だから、いろいろなところから『会長、頼みますわ』と声がかかるんです」
だが、日本に再入国はできていない。しかしこういう。
「正面玄関から堂々と日本に入りますよ。“やらなあかん仕事”が日本にはたくさんありますから。手はすでに打ってます」
大言壮語が持ち味の許だが、どう実現するのか楽しみにしたい。
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