◆描かれたのは「残酷な世界の縮図」

 なぜ横浜流星の表情に“笑い”を増やし、“悲しみ”を引いたのか。それは本作の物語を最後まで追えばきっとわかってもらえるはずだし、そうする必然性が確かにあると思えたのだ。

 さらに恐ろしいのは、語られた物語は極端なようでいて、実は「この日本社会のどこにでもある」と思えることだ。黒木華演じる幼馴染の女性が「東京にも何もなかったよ」と言ったことなどから、他の場所でも同様の生きづらさがあることが示されているからだ。劇中の村は、やはり「残酷な世界の縮図」そのものだ。

 そのような絶望にも満ちた物語でもあるが、だからこそ反面教師的に同じような生き地獄に陥らないためのヒントや希望も得られるはずだ。なお、劇中の能の演目「邯鄲(かんたん)」は束の間の儚い夢、転じて栄枯盛衰を表す物語であり、そちらも観る人によって異なる、多様な解釈を促している。

 一緒に観た人と、話し合ってみるのも一興だろう。

<文/ヒナタカ>

【ヒナタカ】

「女子SPA!」のほか「日刊サイゾー」「cinemas PLUS」「ねとらぼ」などで映画紹介記事を執筆中の映画ライター。Twitter:@HinatakaJeF