子どもには見えないこともプラスに感じられる理由

 だが、物語を追うにつれて、エスターが「大人にしか見えない」ことも、実は大きなマイナスにはなっていない、むしろプラスに思える場面もあった。その理由のひとつは、「大人が子どものフリをしている不気味さ」が良い意味ではっきり表れていることにある。

 前作では、エスターがまさに「子どもにしか見えない」ことが、「無邪気さ」ゆえに凶悪な行動をしている「ように思える」という怖さ、そしてどんでん返しにつながっていた。だからこそ「エスターを演じるのは絶対に子どもでなくてはならない」作品だったのだ。

 だが、今回はそのネタが完全に割れている状態。観客はエスターが大人だと完全にわかった上で観ているため、子どもが演じる必要性はかなり薄まっている。いや、それどころか、彼女が「がんばって子どもを演じようとする」様が、良い意味で半ば滑稽に思えてくる。

 何より、イザベル・ファーマンの表現力そのものが素晴らしい。バレそうな言動をして「やってしまった」をごまかそうとする演技が実に上手いのだが、さらに「見えないところで大人のような振る舞いをする」様があっけらかんとしすぎて笑ってしまう。ほぼほぼブラックコメディ的な要素さえも、「どう見ても大人な」印象にシンクロして面白くなってもくるのだ。

 そして、「大人にしか見えない」ことがさらに生かされているのは、今回のネタバレ厳禁部分。前作がそもそもどんでん返しが重要な作品だったので、それに匹敵するサプライズを仕込むことは難しいだろうと思っていたら、これが実に「な、なるほど、その手があったか!」と感心するものだったのだ。その瞬間の驚きを楽しみにしてほしいし、それ以降も「どう見ても大人」がプラスになる「黒い笑い」が満載で嬉しかった。