またもや悲劇
この津波の教訓から津波警報システムや避難指示の整備がされ、その後の1952年カムチャツカ地震と1957年アリューシャン地震では人的被害が出ませんでした。
ヒロの街も再建が進み市民の津波への警戒が薄れてきた1960年5月22日午後15時11分、チリでマグニチュード9.5の巨大地震が発生しました。
ヒロでは午後8時半に津波のサイレンが鳴ったにも関わらず、多くの人々は油断してしまったそうです。 人々が油断した理由は2つあります。
1つ目は、ちょうど警報システムを変更したばかりだったことやラジオ放送で間違った津波襲来時間を放送したことなど情報伝達が不十分でした。
また、タヒチに到達した津波が3フィートと小さかったことや深夜にヒロに到達した第1波が小さかったことなどの不運が重なり、津波を軽視する人が多かったのです。
そして深夜1:04、35フィート(約10.5m)の第3波の津波襲来により61名が犠牲になってしまった上、1946年に大津波で甚大な被害を受けた場所が再び壊滅的な打撃を受けてしまいました。
この2つの津波の教訓から、ヒロ湾沿岸部には宅地や商業施設を建設せず、公共の公園として開放しています。 この公園は、ちょうどヒロのカメハメハ像の前のあたりの緑地帯がシンマチのあった場所です。
ヒロからホノカアへ向かう途中のラウパホエホエ・ビーチパークには、1946年の津波で犠牲になった人達のモニュメントもあります。
太平洋ツナミ博物館
ヒロの津波を忘れてはいけません。 津波被害の歴史や恐ろしさを後世に伝える博物館がヒロのダウンタウンにあります。
1998年に建てられた、その名も「太平洋津波博物館(Pacific Tsunami Museum)」。
ハワイのみならず、東日本大震災などの津波被害の展示や津波について学べるコーナー、1946年・1960年の大津波に関するビデオが見られたり、警報発令や避難についてなど学たりします。
また、東日本大震災で命を落としたいわき市の鈴木姫花さん(当時10歳)デザインの「灯台ハンカチ」が2018年から常設展示されています。
2つの津波を経験したヒロでは、毎月1日正午に定期的なテストを兼ねてサイレンを鳴らし、市民にも津波に対する啓発を促す努力が続けられています。
毎年ヒロで行われるフラの祭典「メリーモナーク・フェスティバル」が始まったきっかけとなったのも、実はこの2回の大きな津波によるでした。
そんなお話はまたいつか。 A hui hou!
提供・LaniLani
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