会議なしで完成させた『世界の終わりから』
――8年ぶりの新作『世界の終わりから』を拝見しました。紀里谷監督の作品だと言われなければ、「瑞々しい感性を持った新人監督が現れた」、もしくは「日本カルチャーが大好きな海外の監督が撮った作品」と思ったかもしれません。
紀里谷 今回の企画は、僕のデビュー作だった『CASSHERN』の頃からあったものです。瑞々しさを感じたというのなら、そのためでしょうね。本来なら『世界の終わりから』を僕のデビュー作として、世に出すべきだったかもしれません。テーマ性は当時のままですが、僕自身は当時と今で、ずいぶん変わりました。いちばん変わった点は、今の僕は自分勝手になったということです(笑)。自分が本当にやりたいことを『世界の終わりから』ではやっています。でも、20年前の僕は日本のことをすごく憂慮し、どうすればハリウッドに対抗できるような映画を日本でつくることができるかを真剣に考えていたんです。それで導き出された答えが、日本のアニメを実写化して海外へ出していこうというアイデアで、それで『CASSHERN』が僕のデビュー作になったんです。この考えは間違ってはいませんでしたが、自分の思想性を盛り込んだ『CASSHERN』は日本ではさんざん叩かれました。でも、僕がやろうとしていることは、20年前と今も全然変わっていません。ただ、今回は自分の作家性を前面に押し出した作品にしています。製作委員会方式ではない形でつくっていますし、会議などもしていません。
――まったく会議なしで、商業映画をつくることができた?
紀里谷 そうです。予算は限られていますが、そういう映画を最初からつくっていればよかったんでしょうね。僕はファッションフォトグラファーから始まり、ミュージックビデオを撮るようになり、映画も撮るようになりました。オタク系のものに手を出さなくても、よかったんです。ヴィンセント・ギャロが主演・監督した『バッファロー’66』(98)などがありましたし、ああいうアート系の作品を撮ってもよかったわけですが、「なぜ日本ではハリウッドみたいな映画をつくることができないんだ」という疑問がどうしようもなくあったんです。韓国映画みたいに、日本からも世界に発信できるようなシステムができないかと考えていたんです。