「罪」そのものを実感させる、普遍的ですらある物語

 巨漢の男のビジュアルは、もちろん物語にも深くリンクしている。彼がなぜそこまで太ってしまったのか、その謎がミステリー的に解き明かされていくのはもちろん、生活そのものが困難な上に「死」が目の前にある身体に伴う、「心」の問題にも気付かされるという構図があるのだから。

 はっきり言えば、主人公は決して褒められた人物ではない。太ってしまったことも含め、自業自得なところもある。彼には心から心配をしてくれる看護師の友人もいるのだが、それでも病院に行くことを頑なに拒む、というよりも「死んでも構わない」とこの後の人生を半ば諦めていることが切ない。彼の「罪」そのものがその肥えた身体に蓄積されている、という見方もできるだろう。

 これは、ダーレン・アロノフスキー監督らしいアプローチと言える。『レクイエム・フォー・ドリーム』『レスラー』『ブラック・スワン』などで、「身体と精神が同時に変容して行く様」を描いていたのだから。体重272キロの巨漢の男という設定およびビジュアルを持ってして、健康面のみならず精神的にも極限状態にある主人公を描き、その心理が痛切なまでに伝わってくるというのは、実に「アロノフスキー監督節」だ。

 また、描かれているシチュエーションは特殊にも思えるだろうが、描かれている家族や友人との軋轢や、過去の選択による後悔の念などは、多かれ少なかれ誰の人生にもあり得る、普遍的なものだ。そして、自分勝手だった男が苦しみ続けた人生の最期の5日間の物語から、何を見出せるかは、観客それぞれが持つ人生観からも大きく変わっていくだろう。

 また、劇中では1851年の小説『白鯨』が引用されている。鯨への復讐心や捕鯨船での壮絶な航海を綴ったその物語が、どのように主人公の心理とリンクしていくかにも、注目してほしい。