「新潮」のインタビュー記事によると、ジャニーさんは亡くなる前に錦織に電話をかけてきて、錦織が今後の活動について相談すると「すごく僕の立場になって考えてくれた」という。しかし、ジャニーさんの他界後に「僕が今やっている仕事のスタイルを、ジャニーズ事務所に所属しながら続けさせていただくことはできますか?」と事務所側に問うと、答えは「微妙なもの」だったといい、それが退所のきっかけのひとつになったそうだ。
さらに、身内など近しい人だけが集まった「ジャニーさんを送る会」で昔と比べてジャニーズが大きな会社になったと感じ、その中で「自分の居場所はないように思えてしまった」ことで退所の思いを強めたという。
退所のきっかけになったという仕事のスタイルに関する「事務所の返答」は、ジャニーさんの後を継いでジャニーズ事務所のトップになった藤島ジュリー景子社長の意向とみるのが妥当だろう。何よりもショーを愛していたジャニーさんは生前、錦織の舞台づくりの才能を高く買っていた。だからこそ、錦織はタレント業と並行して裏方に近いような動きを自由にすることができた。錦織のインタビューからは、ジャニーズのトップ交代によって「大功労者」である彼が退所を決意するほど大きく体制が変化したことがうかがえる。
また錦織は、あくまで「例えば」の話としてだが、ジャニーズ事務所を離れて“幸せ”を感じることとして「例えば、僕が嫌いな人とは会わなくてもいいわけです。組織に属していると難しいですから」「そろそろ還暦が待っている人間としては、もういいんじゃないかなと。嫌いな人とは会わなくてもいいかな、なんてね」とも話しており、組織内に反りの合わない人間がいた可能性も指摘できる。
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