現在バラエティ番組などで見せている天然の”おバカ系”なキャラと、ストイックさはその時から顕著だったそう。

 ボイメンとして活動していたことを平野は公言していないが、そこにも彼なりの流儀があるのかもしれない。

「そのころから意思は強くて、普段はわりとふわふわしてるのに、こうとキメたら進んでいく、というのは感じ取れました。当時、福澤くんがおしゃべりが上手く、みんなをまとめることができるのでリーダー的に矢面にたって意見をいうタイプ。平野くんは『はい。はい』って素直に聞いてるけど、最終的には必ず自分の意見を通す子でした。他の子達と同様に普通のこどもみたいにはしゃぐけど、どこか距離があるというか俯瞰で見てる感じでしたね」(同前・関係者)

 今でこそボイメンも全国区の人気になり、一時はジャニーズの脅威とささやかれていたこともあった。しかしグループが始動した2010年ごろは、まだ駆け出しでメンバーの入れ替わりも激しかったため、平野も1年ほどしか在籍していなかったようだ。

 ライブやイベント、ミュージカルなどに挑戦していたが、観客が10人、むしろ出ている演者の方が多いといった状態もあり、メンバーに関してはそこまで情熱をもって取り組んでいる人も少なかったそう。