――故郷・宮崎から上京されてからのことも教えてください。

馬渡:千葉大の教育学部に進学しました。小学校教員養成課程の理科専攻に決めたのは生態系が好きだったからなんですよ。生産者と消費者の間にフンコロガシやバクテリア、映画『風の谷のナウシカ』の王蟲(オーム)みたいな「分解者」に昔から憧れていて(笑)。理科の先生にもなりたかったんです。

 大学では音楽サークルに入って、ボーカルだけでなくキーボードやベースも触れつつ、メタルやフュージョンなど6バンドほど掛け持ち。デニーズで深夜3時までバイトして、その帰りにAC/DCを聴きながら自転車で帰るような生活ですよ。

 当時はヘヴィメタルの音楽性も好きだったのですが、友達から教えてもらったパンクにも惹かれていました。テクニカルなメタルとは違い、パンクは文学なんですよ。セックスピストルズから日本のインディーズまで、ソノシートで聴かせてもらったら「すごくわかる……」と。そういう私の反応に、その女友達も泣いて喜んでくれて、ふたりで「シマウマ」というパンクユニットを組んで活動していた時もあります。

 それからプログレパンクなバンドを組んで、インディーズでデビューしようかと考えていたある日、雑誌「Player」(プレイヤー・コーポレーション)を読んでいたら、「ボーカル教えます」という文章が目に留まりました。それが「微笑みの爆弾」でも作詞を担当してくれたリーシャウロンの投稿だったんです。それから彼に歌を習い、コーラスの仕事も紹介してもらうなどお世話になりましたね。