「アリガトウゴザイます!」が言えなかったドリカムのサポート時代

『微笑みの爆弾』、それからのこと。歌手・馬渡松子が初めて語る『幽遊白書』の前と後の画像2

――中学生時代はブラスバンド部でフルートを吹かれていたとか。

馬渡松子(以下、馬渡):宮崎県・三股町の中学校出身なのですが、のめり込んで毎日吹いてました。NHK交響楽団の首席フルート奏者になるのが夢だったんです。そのためにレッスンを受けたり、実際に演奏を観に行ったりして勉強しましたね。一方で小さい頃から声域が低く、高音で歌うと音がひっくり返るので音楽の実技テストが大嫌いだったんです。だから歌に魅力を感じずに、聴くのはインストものばかりでした。

 好きだったのはYMOやリチャード・クレイダーマン、フランク・ミルズ、ジョン・ゾーン、ジョン・ケージなど。あとは平日夕方のラジオ番組『軽音楽をあなたに』(​NHK-FM​)が楽しみでした。そこでかかるエマーソン・レイク・アンド・パーマーに衝撃を受けたんですよ。途中から歌が入ってくるじゃないですか。そこで「ああ、ボーカルもいいな」と。

――ご自身でも歌いたいと思うように?

馬渡:そうですね。高校では吹奏楽部がなかったので合唱部に入りました。あとはプログレバンド・ASIAのコピーバンドを女の子で組み、文化祭で発表したのも大きかったです。ギターを弾きながら歌った時に上がった歓声、あれがきっかけで「自分は歌でやってくかな」とぼんやり考え始めました。文部省唱歌は苦手でしたが、ロックやヘヴィメタルを歌う男性のハイトーンボイスが私の声域に合っていたんです。