――お二人はドラマだけでなく、南海トラフ巨大地震にどう備えればいいかを考える第2部にも参加されたそうですが、あらためて考えたこと、感じたことはありますか?
仁村 「スタジオ収録は、名古屋大学の先生が面白い先生で、地震や防災のことを本当に分かりやすく伝えていて、すごく勉強になります。先生が『準備していたら怖くないよ』とおっしゃっていたんです。先生は“備えあれば憂いなし”を実行していらっしゃる方で、そういう人が1人でも広がれば何か変わるんじゃないかと強く思いました」
松尾 「先生が楽しんで備えをしていると言われていたのが印象深かったです。趣味みたいな感じで面白い防災グッズがいっぱい出てきて、防災って面白いんだよと。その感覚は確かになかったなと。怖いとか注意喚起とか、そういうことばかり言っていますが、前向きな感じで捉えていくことも大事ですよね。地震はもちろん嫌ですが、例えばいい水を用意しておいて、もし防災で使わなかったらお酒で水割りを作るのに使えるからとか、堅苦しくない感じで備えればいいと思います」
――松尾さんは阪神・淡路大震災で経験したことをドラマに生かしたとお話されていましたが、具体的にどんなことをされましたか?
松尾 「まず、揺れですね。阪神・淡路大震災の時は西宮の団地に住んでいたんですが、あの揺れの激しさは、どんな遊園地のアトラクションに乗っても経験できないほどの揺れだったんです。僕は揺れる直前にちょっと目が覚めて、その後バーって揺れた時に地震だと思わなかったし、恐ろしくて動けなかったんです。ラグビーをやっている19歳で、すごく体力もあった若者が動けなかった。だから、現場では南海トラフ地震で揺れが来た時に、すぐに動けるのかということを話し合いました。揺れた時にすぐに立っては動けないだろうと。僕が体験した揺れは、揺れというよりも世界が回っている感じで。天井や壁、全部が動いていると感じたんです。ほかにも、揺れた後の避難や火事が起こるなどの周りの状況ですよね。戦争を体験したことはないですが、本当に戦争中のように西の空が真っ赤に燃えているという恐ろしさを思い出したりしながらやりました」
――お二人は東日本大震災の時には何をされていましたか?
仁村 「私は大阪に住んでいる学生で、ラーメンを作っていた時に地震が来て、火を止めてテレビを付けると津波の映像が流れていて、同じ日本ではないんじゃないかという信じられない光景が広がっていました。私自身、今まで被災したことがないので、このドラマに参加して勉強させていただいた部分ではあります」