◆ドキュメンタリー手法で、本来なら完璧な見た目のふたりが近い存在の息吹として
なぜこれほどまでに身につまされるのか。この作品はドキュメンタリーの手法を採られているからだ。
この作品にナレーションは無い。登場人物の心の声が聞こえることもない。モノローグは唯一冒頭に浩輔が語る「ブランドの服は鎧(よろい)」という宣言と、地元を呪う言葉だけだ。だから観客は登場人物の心の中を彼らが直接発する言葉とその表情から読み解くしかない。
カメラはワンシーンワンカットの手持ちで、執拗に登場人物の顔のアップ、あるいは身体の一部だけを映し続ける。三半規管の弱い人は酔う可能性があるので後ろの席で観劇することを公式が勧めているくらいだ。
そのドキュメンタリー手法は稀に見る自然さとリアルさという結果で成功している。また、引きのほとんどない構図は、潤沢ではないだろう予算(ロケ地は極めて少ない)をカバーする目的もあったかもしれない。しかし一番効果的だったのは主演ふたりの見た目に及ばす効果だ。
身長180cmを大きく超えるモデル出身の、本来ならば遥か手の届かないルックスの主役ふたりが、執拗に顔のアップだけを追い続けられるために、表情のほころびと歪みが逐一伝わってくる。端的に言って、ちょっと不細工に撮られてるのだ。普通に撮っていたらただのBL夢物語になりかねない、本来なら完璧な見た目のふたりが、まるでそこらにいるありふれた人間のように近い存在の息吹として感じられるのだ。