◆朴訥な青年にも魔性の少年にも見える宮沢氷魚にしかできない役柄
「オカマ」といじめられ、中学で母を亡くした浩輔は、その憎むべき地獄のような田舎を捨てて東京でファッションエディターとして華やかに暮らしている。プライドとブランドで自分を強固に護り上げた浩輔は現在ゲイを隠すこともなく友人にも恵まれ、自由を謳歌しているように見える。ただ、自由であるということは、孤独であるということとイコールだ。
そんなある日、彼はゲイの友人つながりでパーソナルトレイナーの龍太に出会い、お互いに心惹かれていく。立場も個性も趣味も真反対に近いほど大きく違う二人だが、たったひとりの肉親である母親を支え続ける龍太に、浩輔は幼いころ母親を失った自分を投影する。亡き母への想いを取り戻すように二人をサポートする浩輔だが、思いがけない運命が待ち構えていた。
本作はほとんど鈴木亮平劇場といっていいほど彼の存在感は大きい。しかし、龍太を演じる宮沢氷魚が負けていない。
完璧に作りこまれた鈴木亮平の浩輔に対して、宮沢氷魚の龍太はあくまで自然で素朴、しかしながら同時に無自覚な妖しさと儚い色気も感じさせる。天使と悪魔が同時に存在していると言っては陳腐だが、これは、撮る角度によって朴訥(ぼくとつ)な青年にも魔性の少年にも見える宮沢氷魚にしかできない役柄かもしれない。
例えば最初に一緒にお茶をしたときに小銭をばらまいて頭をぶつけて結局浩輔に払わせる彼のドジっ子ぶりに、私は思わず
「気を付けて浩輔! きっとこの子、おリツ(お金目的のパパ活ボーイを揶揄する昭和のゲイ用語。誰も知らなくていい)よ!」
と老婆心から叫んでしまったくらいだ(その私の勘は半分当たることになる)。
実際、私は途中まで、本当に浩輔のことが好きなのか? という基本のところで、龍太の気持ちがわからなかった。彼の一見ピュアな微笑は、本当なのだろうか、打算的なものなのだろうか。つい自分の過去の恋愛を思い出しながら探ってしまう。
そうだ、100%のピュアも、100%の打算も無かった。いつもその間で揺れ動いていた。誰も必要としない情報で申し訳ないが。