◆ゲイの世界を生きてきていくつも見てきたあの顔この顔を思い出す
場末のハッテン映画館に雰囲気が似ている。
いちおう、これから始まる映画の内容はある程度把握している。見る限り、ここにいる人間でこの映画に一番近い当事者は私ではないだろうか。始まる前からなんだか面映(おもは)ゆいような気持になっていた。さぞかしご立派なご高説を垂れた映画が始まるのだろう、あるいはきれいなだけの嘘くさい純愛悲恋が紡がれるのだろう。そしてたぶん、お決まりの「同性愛という枠にとどまらない、普遍的な愛のかたち」とかいう売り文句がくるに決まってるのだ。ノンケが多数いる場所で見る同性愛者の映画は苦手だ。
見たくないものを見るように、私は猫背で目を細めてへの字口で鑑賞を始めた。
冒頭。鈴木亮平演じるファッションエディターの浩輔が登場した瞬間に、私の背筋は伸び、目は見開き、口は半開きになった。
その柔らかな物腰、その大仰な手つき、自分を含めた世界を客観的に見る皮肉なまなざし、そしてすべてを煙に巻くような回転の速い毒っ気のある喋り方。
とある知り合いのゲイに、生き写しだったのである。あの鈴木亮平が。今二丁目で最も人気のある有名人のひとりともいわれる彼が、よりによってオネエを煮詰めたようなあのクソババアと。
続く居酒屋でのシーンは、まるで自分も二丁目のあの場所にいるような気持になってくる。「ババアたち、うるさいわよ!」と思わず声をかけてしまいそうだ。彼らはゲイに特異的人気の『Wの悲劇』について語り、二丁目の路上で突然ヴォーギングを踊る。今まで自分がゲイの世界を生きてきていくつも見てきたあの顔この顔を思い出す。そして極めて既視感のある彼らの中にあって、鈴木亮平演じる浩輔は全く不自然さを感じさせない。
極めつけは、愛する龍太と初めて寝た後の浩輔だ。龍太を見送り一人になった彼はBGMにしていた優雅なクラシックを止め、かけ直したのはちあきなおみの『夜へ急ぐ人』。浩輔は派手なグッチのコートに身を包み、溢れ出る激情とともに突然歌い踊るのだ、原曲キーのハイトーンで。
これはちょっと、今まで見たゲイ映画とはちょっとジャンルもレベルも違う。少年の細やかな心情やゲイカップルの普段の日常を描いた同性愛の良作はあれど、ここまでリアルな(手垢がついた言葉だがそれ以外に見つからない)ゲイ映画は初めてだ。鈴木亮平は憑依型の演技に定評があるとは聞いてたが、その憑依が自分のよく知る人物として目の前に現れると、言葉を失ってしまう。
私は伸ばした背筋を前のめりにして画面に没入していった。