「尼将軍」の呼び方は鎌倉当時にはなく、江戸時代に一般化したものですし、政子は正式に鎌倉殿に就任したわけではありませんが、それでも、当時の女性としては抜きん出た権力を誇った政子を、慈円僧正が天照大神に(皮肉を込めてですが)喩えた記録もあります。九条家という名門出身の慈円の目にすら、政子は“異例のカリスマ”として映ったのでしょう。

 慈円の作とされる『愚管抄』には、「女人入眼の日本国(という通説は)いよいよ、まこと也(なり)けりと云ふべきにや」との文言があり、言葉を補えば、「女性の手で物事が完成されるのが日本という国だとする説は、鎌倉の北条政子の例を見ていても、確かに当たっているといえる」と訳せます。政子の影響力の大きさがうかがえる一文です。

 九条家から関東に送られた三寅(=藤原頼経)が正式に鎌倉殿に就任するまで、政子が実質的な「四代将軍」として仕事したと考える人は多かったようです。室町時代に成立した「『吾妻鏡』の写本」(国立公文書館所蔵)冒頭の鎌倉殿一覧には、「平政子」として彼女の名前があり、「治八年」――つまり彼女の統治期間は8年に及んだと書かれているからです。

 ドラマ第46回では、「尼将軍」となった政子が、阿野時元(森優作さん)の蜂起を煽動した罪を問われ、義時の逆鱗に触れて処刑されそうだった実衣(宮澤エマさん/史実では阿波局)を救ったシーンがありました。確かに史実でもありそうな話だなと思われました。