「国内メインストリームのバンドサウンドの総決算」だった90年代後半のGLAY

 ここで、多くの人がイメージする「GLAYの音楽性」について振り返っておきたい。大半のシングル楽曲の作詞・作曲を担うTAKUROがジョン・レノンからの多大な影響を公言していることに象徴されるように、GLAYがトップバンドへと上り詰めていった1996年~2000年頃に発表された楽曲は、60~70年代の国内外のポップ・ミュージックに通ずるサウンドが色濃いものとなっている。あまり指摘されないが、こうした当時のGLAYのややレトロとも言える方向性は、90年代中盤にMr.Childrenが小林武史とともに国内に浸透させたバンドサウンドと重なるものがあるようにも思える。

 加えてこの時期は、90年代前半に地下シーンで隆盛を極めた“ヴィジュアル系”と称されるムーヴメントに出自を持つバンドが徐々にメインストリームに浮上し始めているタイミングでもあり、GLAYはそれに通ずるデカダンでスリリングな雰囲気を纏ったシングル「口唇」「誘惑」をリリースする懐の広さも兼ね備えていた。もちろん、GLAYはヴィジュアル系の数あるルーツの一つとされるビートロック(特にBOØWY)やパンク等からの影響があることも広く知られているが、彼らが「60~70年代のポップ・ミュージック」「それ以後のビートロック~パンク」の2つのテイストを違和感なく両立した活動を展開できた背景には、80年代にBOØWYをスターバンドに導いたことで知られ、「バンドのやりたいこと」をベースにディレクションを行う「調整型」の名プロデューサー・佐久間正英の貢献も大きいように思える。

 このように「60~70年代の国内外のポップ・ミュージック(Mr.Children等に通じる)」「それ以後のビートロック~パンク(ヴィジュアル系ブームに通じる)」の2つの参照元を持った90年代後半以後のGLAYは、間違いなく時代とシンクロしていた部分があり、当時の「国内メインストリームのバンドサウンドの総決算」だったとも言えよう。そうした時代との強い親和性と、セールスやライブ動員面で前人未到の頂点を極めたタイミングが重なったがゆえに、多くの人にとってGLAYのイメージがこの時期のものに固定化されてしまうのも、ある意味ではしょうがないだろう。しかし、だからこそGLAYの音楽性は「正当な評価を受けていない」ように思えてならない。本稿は、まだファン以外にはあまり知られていないGLAYの魅力を紹介し、掘り下げていく試みである。