その理由は後日、離婚の話し合い時に判明した。「細かい不満の長年にわたる蓄積」である。
いくら言ってもAさんが育児にコミットしてくれなかった。自分の仕事復帰に関して親身になって考えてくれなかった。Aさんの実家に帰省して連泊するのが苦痛であることを察してくれなかった。そんなことが、コップに一滴ずつ水が溜まるごとく、数年間にわたり妻の中に蓄積されていた。最後の一滴で溢れ出したのが、その朝だったらしい(最後の一滴が何だったかは、教えてくれなかったという)。
妻はコルムに、Aさんはパードリックに置き換えられる。Aさん夫婦同様、「最後の一滴」が何だったのかはわからないが、それが何であるかは、さして重要ではない。とにかくコルムの中で不満が臨界点に達してしまったのだ。パードリックは「ちゃんと説明してくれなきゃわからない」と苛立ちをぶつけるが、コルムは頑なに説明しない。
「妻に怒っている理由をいくら聞いても、頑なに説明しない」は、経験者ならばよくご存知だろう。説明しないというよりは、一言では説明できないのだ。彼女たちは、夫のあるひとつのふるまいに対して怒っているのではない。長きにわたる不実の蓄積に苛立っているのだ。そのうえで、怒りを細部にわたり言語化する労力すら惜しいほど、夫に失望している。