Jホラー映画の第一人者である鶴田法男監督も、「青い鯨事件」をモチーフにした『戦慄のリンク』(公開中)を中国で制作した際、検閲のやりとりで神経をすり減らしたと語っている。幽霊よりも、中国当局はずっと恐ろしい存在だった。

 当局とロウ・イエ監督との検閲をめぐる交渉は、2年近くに及んでいる。最後まで音を上げなかったロウ・イエ監督の粘り腰もすごい。それでも香港でのロケシーンなどがカットされたため、今回の完全版を国外で上映することになった。

 中国を離れ、もっと自由に映画が撮れる海外へ移住すればいいのにとも思ってしまうが、ロウ・イエ監督はそれをよしとはしない。1989年6月、天安門前広場へのデモ行進に大学生のひとりとして参加していた彼は、あくまでも中国にとどまって、中国社会とそこで暮らす人々の変わりゆく姿を撮り続けようとしている。

 ロウ・イエ監督の前作『ブラインド・マッサージ』(14)では、視覚障害者たちの「視点」からバブル景気に酔う中国社会が描かれていた。マッサージ院で働く主人公たちは目が不自由な分、他の感覚を研ぎ澄まし、人々の心変わりを敏感に察知していた。