猪木はなぜ、グレート・アントニオにキレたのか?
“今のプロレス”と“昔のプロレス”は、はっきり別物と分けていい。どちらに肩入れするという問題ではなく、試合の中身からファンが惹かれる要素から、ほとんど別物なのだ。そうすっきり分けてしまったほうが、筆者のような懐古厨からするとストンと腑に落ちる。
昭和のプロレスを見ていたら、いろいろな部分が目につく。今はコロナ禍ということもあるが、昭和のプロレス会場は現在では考えられないほどお客さんが多かった。客席がギッチギチなのだ。リングサイドのカメラマンが持っているのは、マニュアルでピントを合わせるフィルムカメラである。そう考えると、当時のカメラマンの腕前はすごい。
会場内はたいして空調が効いておらず、(当時の)テレビ用ライトのせいもあり、リング上のレスラーは今の選手以上に汗だくだ。リングサイドに座る当時の若手勢の顔ぶれを見るのも楽しい。今や大物になったレスラーたちが、いそいそとセコンド業務に励んでいるのだ。もちろん、実況を務めるのは古舘伊知郎。やはり、猪木の熱戦を彩るアナウンサーは古舘に尽きる。
そして、どうにも陳腐な表現だが、アントニオ猪木がセクシーなのだ。猪木の魅力について、「“強い男”が発するものではなく“悪女”のそれに近い」と評した人がいたが、言い得て妙だと思う。
今回の特集、最初に放映された試合は、いきなりのっけからストロング小林戦(1974年)だった。プロレスを見ない人には、『風雲!たけし城』(TBS系)に出演したストロング金剛と紹介したほうがわかりやすいだろうか?
この頃の両者の風貌(髪型、骨格など)は瓜二つで、リング上で向かい合う2人の姿はまるで双子みたいだ。ちなみに、小林は昨年12月31日にのう肺で他界。猪木も小林も、もう2人ともこの世にはいない。
おとなしい性格の小林に猪木がパンチを見舞うなど、猪木が意識的に小林を怒らせて怒涛の攻めを引き出し、名勝負へと昇華した試合である。フィニッシュは、相手の体より早く猪木の額がマットに着地し、衝撃で猪木の足がバウンドした“首で支えるジャーマン”だ。むしろ、猪木のほうがダメージを受けていそうな決まり手は、「こんなプロレスを続けていたら10年持つ選手生命が1年で終わってしまうかもしれない」という猪木のコメントに強い説得力を与えた。
続いて紹介されたのは、1977年における“密林王”グレート・アントニオとの一戦だ。令和の地上波でこれを流すとは。この試合の見どころは、猪木がキレた瞬間にある。密林王による力任せのハンマーパンチを首筋に受け続ける猪木。数発目で「ここで猪木はキレた!」という瞬間が、ファンにははっきりとわかるのだ。
今のテレビの感覚で言うと、流血の展開は問答無用に放送から外されそうなもの。しかし、「猪木を語る上でこの試合は欠かせない」と判断、容赦なく顔を蹴り上げられる密林王の姿を当然のように紹介した番組の姿勢からは、覚悟を感じた。なにしろ、セコンドに付いたブレイク前の長州力の表情は完全にドン引きしているのだ。ちなみに、日本プロレス時代(1961年)にグレート・アントニオが来日した際も、彼は猪木の師匠であるカール・ゴッチから制裁を受けている。こちらは、猪木が若手時代の話だ。
ところで、猪木はなぜあれほどまでキレたのだろう? スポーツ写真家の原悦生は、『プロレス名勝負読本』(宝島社)の中で、以下の3つの理由を挙げている。
・力道山時代に封印された怪物が、“生きた化石”としてカムバックしてきた。「アントニオ」という同じリングネームも、猪木にとっては刺激的だったはず。
・ゴングが鳴ってもせせら笑い続け、猪木がドロップキックを放っても蚊でも止まったかのように腹を突き出し、笑い声を上げるその態度。密林王が笑うたびに、猪木の怒りはピークへ向かっていった。
・これは古舘伊知郎の説だが、密林王は体が臭かったらしい。普段から風呂に入らず、体臭がキツかったのだ。逆に毎試合、シューズに新しい紐を通すのが猪木である。臭いレスラーとのコンタクトを嫌ったため、猪木はシューズの部分だけで短時間決着に向かった。
巡業中に奇行を繰り返すなど、トラブルメーカーだった密林王。反面、地元のカナダ・モントリオールでは、恵まれない子たちのため熱心に募金活動を行うという一面もあったそう。以下は、密林王のマネージャーだったディーバック・マサンドの証言である。
「これまでのプロレス史に類を見ないキャラクターを演じ続けたのは、人よりも余計に金を稼ぐ道はこれしかないと自分に言い聞かせていたんだと思うよ」
「日本では大声をわめきたてて周囲の人間に迷惑をかけていたが、あれは日本だけです。モントリオールではまったくやらなかった」
「猪木に鼻を折られたときのことはあの後も一切話さなかったし、不平もこぼさなかった。誤解されている部分は多いが、本当に彼は心の優しい男でしたよ」(「日本プロレス事件史vol.4」ベースボール・マガジン社より)