「毎秒48フレーム」の罠

 ごく簡単に説明すると、一般的な映画は1秒間に24コマの静止画を連続的に映すことで、動いているように見せている。これが「毎秒 24 フレーム(24fps)」だ。この静止画の数を倍にしたのが 今回のHFR、「毎秒 48 フレーム(48fps)」だ。『アバターWoW』は、このHFRと3Dをかけ合わせた上映が実施されている(ただし上映劇場は限られる)。

 毎秒24コマが48コマになると、どうなるか。上映劇場チェーンのひとつであるイオンシネマによれば、「画面のちらつきが消え、3Dの迫力映像とあいまって、よりなめらかで鮮明な映像体験を味わうことができる」。これをカジュアルに言い換えるなら、「人物などの動きがヌルヌルする」。ややネガティブに形容するなら「ビデオ映像っぽくなる」「ゲーム画面っぽくなる」だ。

 コマ数が増えれば、動画の情報量は上がる。普通に考えれば、これは良いことだ。しかし映画という「虚構の世界に説得力をもたせる」メディアでは、吉ではなく凶と出ることもある。

 たとえば、ピーター・ジャクソン監督の『ホビット』三部作(2012~14)は、長編としては世界初のHFR+3D撮影・上映作品だったが、その画面を「なんだか安っぽい」と感じた観客も少なくなかった(筆者もだ)。ビデオ映像、すなわちテレビドラマっぽい印象を抱いたためである。細かいアクションがチラつきなく細部まで視認できるのは素晴らしかったが、時おり「現実に引き戻される」感じがして白けてしまった。ファンタジーに没頭しきれなかったのだ。

 筆者を含む当時の観客は、ここで気づいた。「映画ならではの没入感」と「現実っぽさ」は意外と相性が悪いのだと。24fpsという、ちょうど良く情報が「間引かれて」いる状態こそが、虚構をもっともらしく語る映画にとってはむしろ好都合だった。映画の「嘘」の輪郭を曖昧化することで、観客が「嘘」を信じてくれるからだ。精密極まりない写真ライクな写実画よりも、細部描写にこだわらない印象派の絵画のほうが、その世界に「没入」できるケースは、ままある。

 『ホビット』のようなファンタジー映画の場合、画面内には我々の現実世界に存在しない道具や建物が大量に登場するが、HFRでその「実在感」が加速されたせいで、「作り物の小道具感、スタジオセットぽさ」が際立ってしまった。結果、「没入感」が「実在感」に組み伏せられてしまったのだ。