結局、チェッカーズとは藤井フミヤの人気であった

 止まらないチェッカーズ人気。85年にはチェッカーズ主演映画『CHECKERS IN TAN TAN たぬき』が公開され、配給収入11億円に達する大ヒットを記録した。「チェッカーズの正体はたぬきだった」という今見るとかなりしんどい内容なのだが、日本アカデミー賞の話題賞、最優秀撮影賞、最優秀照明賞と3部門を受賞した輝かしい成績も残している。ちなみに、同作でメガホンを握ったのは名作『竜二』を撮った川島透監督だ。

 当時は、そういうご時世だった。芸能界で売れ始めた新鋭を主演に据えた映画が、本当によく制作されていた。主演:とんねるずの『そろばんずく』や、主演:玉置浩二の『プルシアンブルーの肖像』などである。

「この映画(『TAN TAN たぬき』)を見たスーパースターが1人いますよ。僕のところに来られて、『7歳のときにお母さんに連れて行かれて、映画を見て感動したんですよ』って言ったスーパースターがいたんです。安室奈美恵ちゃんです」(鶴久)

 そういえば安室も、ブレイク初期に山口達也(元TOKIO)とのダブル主演で『That’sカンニング! 史上最大の作戦?』なる映画に出演していた。チェッカーズからの流れを、奇しくも彼女は受け継いでいたのか?

『TAN TAN たぬき』のラストは伝説である。正体がたぬきだとファンにバレてしまったメンバーらが砂漠で途方に暮れていると、ファン4000人が一斉にチェッカーズに駆け寄り、取り囲むというシーンだ。

 今見ると、危険極まりない撮影である。もし、暴走するファンがいたらチェッカーズに危害が及んだろうし、4000人もの大群が全力で駆け寄るのだからケガ人が出てもおかしくなかった。余談だが、82年に開かれたシブがき隊のコンサートでは将棋倒しが発生し、ファンの1人が死亡するという事故が起きている。

 兎にも角にも、チェッカーズ人気はその後も上昇するばかり。そんな最中、90年にはフミヤが結婚するという衝撃のニュースが報じられた。当時のワイドショーを見ると、芸能リポーターの梨元勝がマンション名を隠さずフミヤ宅の前でリポートをしているし、大勢のファンがフミヤ宅の前に集まり泣き腫らしているのだ。つまり、フミヤの住所はみんなにバレバレだった。当時、タレント名鑑を読むと芸能人の住所は普通に載っていたものである。

 その後、ファンの願いも虚しく、フミヤの結婚発表会見が開かれることに。出席したのはフミヤ本人と、“糟糠の妻”である学生時代からの彼女・まち子さんだった。一般人なのに普通に顔出しして会見に出る、当時はそういう時代であった。

 顔出しすることにより、藤井夫妻にはいろいろな影響があったはずだ。視聴者としても、さまざまな感慨がある。「昔、天ぷらを揚げてボヤ騒ぎを起こしたのが、このまち子さんだったのか」とか、「この2人から生まれた息子が成長してフジテレビアナウンサーになったのか」などなど。

 なんにせよ、ファンが絶望する姿を見るにつけ、「結局、チェッカーズとはフミヤの人気だったのだ」と再認識することができた。ちなみに、フミヤの結婚発表会見が開かれたのは90年6月29日である。一方、シブがき隊の薬丸裕英と石川秀美によるアイドル同士の結婚発表会見が行われたのは、90年6月4日だ。