85年、デビュー4年目のシブがき隊の人気に陰りが見え始める。売り上げが10万枚にも届かないシングルが出てくる最中、さらに追い打ちをかけたのは、ジャニー喜多川氏肝入りの3人組・少年隊のデビューだった。

 当時はチェッカーズのみならず、男性アイドルに吉川晃司や風見しんごもいた時代。まさに、群雄割拠だった。しかも、彼らの多くは歌と踊りが一級品だ。どちらに関しても水準以下だったシブがき隊のパフォーマンスは、他のアイドルと比べかなり見劣りした。

 その状況で、世界水準の歌とダンスを誇る少年隊というグループが身内から登場したのだ。今振り返ると、ここでシブがき隊はとどめを刺されていた……というのが筆者の偽らざる気持ちである。

 さらにこの頃は、シブがき隊の不仲説まで流れ始める始末である。

田中 「たしかにテレビを見てても、フックンがふざけたり、モックンが変なことをやると、ヤックンが絶対、睨むんですよ。『何言ってんだよ!』みたいな。子ども心に『あれ?』って思って見てました」

布川 「その通りです。顔に出るんですよね」

 噂通り、シブがき隊は不仲だったらしい。その亀裂には、チェッカーズ人気が関係している。

「俺らも、チェッカーズが出てきたときは認めてましたからね。モックンがまず、『敏和、大変なカッコいいグループが出てきた』って。それで、モックンと一緒にチェッカーズの合宿所に行くわけですよ。すると、薬丸は嫌な顔をするわけです。呼び出しですよ。『布川と本木、お前らチェッカーズの家に遊びに行くとは何事だ!? ライバルのチェッカーズにどれだけ俺らのファンを持っていかれてるんだと思う!』と怒られるんですけど、僕と本木は『いいじゃん、別に楽しければ』って」(布川)

 良く言えば、薬丸は真面目でプロ意識が高かった。悪く言えば、彼は面倒くさかった。

 振り返ると、アイドル然としたチェッカーズがピークを迎えていたのは84~86年の3年間である。たのきんはチェッカーズ以前に活動したグループだし、少年隊のデビューから少ししてチェッカーズは脱アイドルの方向へと舵を切った。ジャニーズのグループで最も割を食ったのは、シブがき隊なのだ。「チェッカーズとは会話するな!」と薬丸が偏屈になり、3人が不仲になったのも同情の余地がある。まあ、対するチェッカーズものちに不仲が表面化するわけだが……。