とはいえ、シブがき隊はスタートダッシュが物凄い。1982年にデビューした彼らは、1stシングル「NAI・NAI 16」で25.9万枚を売り上げ、日本レコード大賞やFNS歌謡祭(当時は賞レース制だった)など同年の新人賞をほぼ総ナメしている。

 3人が生徒役で出演したドラマ『2年B組仙八先生』(TBS系)が82年3月で終了、約1カ月後に電光石火でデビューしたグループだっただけに、世の追い風も尋常ではなかったのだ。

 一方のチェッカーズは83年にデビュー。実は彼ら、アイドル業界では不作と言われる83年デビュー組なのだ。デビュー前の藤井フミヤは国鉄に勤務しており、シブがき隊とは「自分たちのほうが年上だけれど、芸能界のキャリアとしてはシブがき隊より後輩」という関係性であった。

 チェッカーズのデビュー曲は、言わずと知れた「ギザギザハートの子守唄」である。当時、幼稚園児だった筆者は『おはようスタジオ』(現在の『おはスタ』、テレ東系)でこの曲を歌うチェッカーズを目撃しており、5~6歳なのに「♪ちっちゃな頃から悪ガキで~」と無邪気に歌う自分をたしかに記憶している。それくらい、この曲はキャッチーだった。女性バージョンで例えると、相川七瀬「夢見る少女じゃいられない」のようなものか? 

 しかし実はこのデビュー曲、発売当初のランキングは100位圏外だったのだ。同時期、シブがき隊の7th「挑発 ∞」は4位にランクインしていたから、チェッカーズからすればシブがき隊は雲の上の存在だ。

 そして、チェッカーズは84年に2ndシングル「涙のリクエスト」をリリース。こちらは67.2万枚を売り上げ、オリコン2位に入る大ヒットに。さらに、3rd「哀しくてジェラシー」ではついにオリコン1位を獲得! すると、「ギザギザハートの~」にも注目が集まり、85年5月にはオリコン史上初、3曲同時ベスト10入り(1位「哀しくて~」、5位「涙の~」、9位「ギザギザハートの~」)という快挙を成し遂げている。

 当時の『ザ・ベストテン』(TBS系)で、1日のうちに3度登場するチェッカーズの姿は筆者もなんとなく覚えている。彼らは本当にブームだったし、ヒット曲も多数なので、逆にどれが代表曲かわかりにくいという特徴も持っていた。

 鶴久曰く、デビュー曲「ギザギザハート~」とブレイクをもたらした「涙の~」の両曲には、驚くべき裏話があるそう。

「プロデューサーの狙いなんです。『涙のリクエスト』は聴いた感じ入りやすいけど、インパクトがない。『ギザギザハート~』で不良をやってた奴が歌詞とマッチングし、それを全国的に広めた後に、『涙のリクエスト』が絶対にヒットする……って、プロデューサーが言ったんです。(『ギザギザハート~』がヒットしなくても)『焦るな、焦るな、2枚目来るぞ』みたいな(笑)」(鶴久)

 つまり、『ギザギザハート~』リリース時の不発も、3曲同時ランクインも、計算通りだったのだ。

「でも、このデビュー曲(『ギザギザハート~』)を僕らは大っ嫌いだったんです。これをもらったとき、フミヤさんは『これって演歌ですか?』とポロッと言って。(プロデューサーは)『我慢して歌え。でも、売れたら好きなことなんでもやっていいから』って」(鶴久)

 初めて「ギザギザハート~」を聴かされたメンバーたちは、そのメロディーに首を傾げ、「小林旭の歌みたいだ」と感じた……という逸話は、今も語り草である。