鎌倉に時元謀反の報せを伝える「飛脚」が入ったのは15日で、政子の寝室に鳥が舞い込んだので、「不吉だ」と話されていた直後でした。この報せを受けた政子は、「尼将軍」として「阿野冠者(=時元)」の「誅戮」を義時らに命じました。
義時が派遣した金窪行親らが阿野荘に到着した22日、時元率いる反乱軍はあっという間に鎮圧されました。『吾妻鏡』の記述には時元について「阿野(時元が)自殺」とあり、武家の棟梁である鎌倉殿を目指して挙兵したのに、彼の戦いぶりは「防禦失利(=防御がよろしくなかった)」と書かれているだけ。時元の「自殺」によって謀反は即終了という簡素すぎる『吾妻鏡』の記述は、圧倒的勝者に抗った弱者の末路の悲惨さを伝えている気がします。
『吾妻鏡』の記述では、ドラマにおける実衣のように、時元挙兵に母親の阿波局が関与したかについてはよくわかりません。また、政子とは実の姉妹である阿波局が、どういう経緯で命だけは取られず、伊豆の山中に隠遁することになったかについても詳細はありません。ただ、幕府において絶対的な「勝者」となった北条家は、源氏の血筋の阿野時元には厳しく、身内である阿波局には甘かった……という結末だけが『吾妻鏡』からはうかがえるのでした。
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