敬愛する慈善活動家の故・佐藤初女先生。自宅を開放し、手料理でもてなしながら、悩める人々の心に寄り添いました。カウンセラーでも医師でもない先生は、心を開いて相手の話を聞くことだけに注力したのです。多くの訪問者が先生からの共感を受け、生きる力を取り戻しています。中には自殺を思いとどまった人もいるのです。

そんな初女先生が大切にしておられたのは「祈り」。料理においても日々の生き方においても、ゆったりとした心で目の前のことに集中し、いつくしみながら取り組んでおられました。このようなエピソードを先生の多数の書籍で目にするにつれて、私自身、自分の人生との向き合い方を考えるようになりました。

今、振り返ってみると、手探りをしながら仕事にまい進したのは今から20年ほど前のこと。ちょうど上の子が生まれた直後でした。何とか夫婦でやりくりをしていたものの、勤務体系の変更もあって、このまま英国生活をすることが難しくなったのです。せっかく付与された永住権も捨ててBBCを退職して帰国。お腹の中には2番目の子どもがいました。帰国してからはとにかく働かなければならないと必死でした。

少しずつ仕事が来るようになったのは、子どもたちが幼い頃。ただ、通訳や指導の場合、準備がすべてです。一方、目の前の幼子たちの世話や家事もあります。慢性的な寝不足状態で、すぐに不調を覚えるような状況でした。

今になってようやく、「あんなにガツガツ仕事をしなくてもよかったのに」「子どもはすぐ大きくなってしまう。もっとセーブして子どもたちとドップリ遊んでおけば」など、いろいろな反省点が出てきます。けれども渦中にいたときは、「子育ての大変さを仕事で発散する」という部分もあったのですね。よって、仕事を極端に削ることははばかられました。「仕事を引き受ける→予習に忙殺される→当日緊張する→くたくたになる→子育てに正面から向き合えなくなる」という悪循環が続きました。

人は「今」と「未来」があるのみですので、今さら過去を変えることはできません。懐かしさ以上に後悔が出てくるのならば、それに時間を費やしてあれこれ悔やむよりも今この瞬間を充実させる方が生産的でしょう。どのような選択をしたとて、人はどこかで何らかの形で悩んだりちょっぴり残念に思ったりするものなのだと思います。